心臓にステント入れてもらってから1年過ぎたので
「検査入院」と言うやつでカテーテル処置やってきた
まあ、そちらは無事に完了してホット一息だったのだが・・
今回は「怪我がこんなに恐ろしいものになるとは」というお話
昨年の夏、8月頃に左のスネ付近を
駐車場の「チェーン」にしこたまぶつけてしまい、
軽く出血し、そのまま”かさぶた”になっていたのだが
その後なかなか快癒せず、それどころか
痛みがひどくなり、夜寝られないくらいにまで悪化していた
ちょうどその頃に心臓のカテーテルの検査入院の予定が入っていたので
そのときに「ついでに」診てもらえば良いかと、軽く考えていた。
で、その入院の際にカテーテルの処置の後看護師や医者に相談したのだが
(だってホラデリケートなカテーテル処置の前に執刀医に
余計なことを言いたくないじゃないですか、なんかのついでに「手心」加えられても嫌だし)
「別の病院に行ってください」という対応をされてしまった。
当初は前向きな治療を試みようとしてくれていた看護師たちも
医師の命令が下ってからは手のひらを返したように距離感の有る対応になってきた。
おいおい、そりゃあ無いんじゃないの!
まあ、「組織の中の人」はそうするもんだろうけれども・・
だからマドンナさんはじめ優秀な看護師の方々は「自分の判断」を必ず持っている
上からの指示と現場の実体を照らし合わせ患者にとって一番の対応をしてくれるのだ。
ただ、今回の入院ではそういった「エース看護師」の方が担当になることはなかったのだ
話が大いにそれてしまった。
実のところ増々痛みは激しくなり、うなされるほど痛くて、
膿のようなものがかさぶたを通してにじんで来ており、
シーツにも黄色な体液が付くほどであったが
看護師を呼ぶも「消毒も何もなしで乾いたガーゼをただ貼り付けるだけ」という
処置をされてしまい「これ絶対ダメなやつだ」と独り言する。
ガーゼが傷口にくっついてますます悪化するんだろうこれ
なにか塗ってからガーゼでないと駄目でしょう。。
案の定その夜は過去最高に傷口が痛み、
あまりに痛いので眠れず、ガーゼを一枚だけ残して残りを全部剥がす処置を
直感で行い、(セルフサービスでな)何とか眠りにつく。
「看護師を呼べばいいじゃん」と思われるだろうが
その日の当直はその問題のある処置をしてくれた張本人。
しかもこの方は最初に私の名前を間違えて呼んだ上に
(この病院は「本人確認」のため患者に何らかの処置をする場合
過剰なほどに「フルネームと生年月日」を復唱させるシステムなのだ
それを私の名前を間違えた上で訂正をきちんとしない看護師を信用するわけにはイカン!)
私がそれを指摘しても知らん顔をするようなお方(ちなみに男性の看護師だ)だったので、
ナースコールするという選択肢はその夜の私には無かった。
今思い出して書いても酷いね、この辺りの出来事。
病院なのにまともな怪我の処置を受けられない状態、
専門外の部署とは云えねぇ・・・
まあ、一番悪いのは痛みを放置し続けた私でありますですよハイ。
で、土曜日退院で、休み明けの月曜日に近くの病院に行き
診察を受けた。
かさぶたは内部が完全に化膿していたようで
痛み止めの注射を沢山打たれた後に
(これが半端なく痛かった。激しく炎症を起こしているのだからそりゃねえ・・)
かさぶたを全部取られて患部の肉が丸出しになってしまった。
皮膚の部分がなくなっているのだから、当然といえばそうなのだが。
大きさも最初にぶつけた面積よりも3倍増しほどに大きくなっていた。
オイオイですよ、オイオイオイです。
「カデックス」というヨウ素の入った塗り薬を患部に塗ってもらい
滅菌ガーゼを上から貼って、その上から包帯をグルグル巻。
余りの痛みに私は始終叫び通し。
痛み止めと抗生物質を処方され、ほぼ毎日通院してくれと言われる。
なるべく足を上げて暮らしてくれと言われるも
「そんなん出来っこない」と答える。
入院と変わらんじゃんかそんなん。
これが怪我をしてから約2ヶ月経った昨年10月の初頭の出来事。
大げさでなくびっこを引いて処置室を出ようとすると
医師から車椅子を勧められるも「自動車で来ていますので。」
と、断りを入れる。
で、しばらくの間毎日通院、毎日激痛の避けられない処置をして頂く身分となった
糖尿病とか、血液サラサラのお薬とか、そういうのに関係していると
傷がなかなか治らないと聞いたことは有ったが、
いざ自分がそうなってみるまで怪我がこれほど恐ろしいものになるとは
だってほら、治るはずの傷が治っていかないのだから。
ああ、嫌だ嫌だ自分で書いていたって全く救いのない局面ではないか!
だが、もしお読みになっている方は安心して欲しい。
これを書いているということは私は未だ生きているということ。
そして快方に向かっているからこそ、ブログを書くパワーも戻ってきているということ。
マジで痛い時はなんにもする気力が湧いてこなかった。
一応仕事には行っていたけど、その他のことは必要最小限しか出来なかった
このブログもな。
次回はこの怪我の続きと快方に向かう様子を書く予定