本当は、
オーディオインターフェイスの音の違いとか、
linux上のJack についてとか、
windowsとlinuxの再生の音の違いの有無とか、
DAWによる音の違いとか、
書いても誰も関心なんかないのではないかという内容を書くつもりだったが、
下調べの段階で音の違いがほんの少しずつしか無いので
わざわざ録音、編集してブログに載っける気力がイマイチ漲らなかったという、
そんな感じでした。
思わせぶりだけでは「何じゃそりゃ〜?」と言われるだけなので、結論を簡略に。
・windowsとlinuxで音の違いは私には感じられなかった。
・linuxでは「Jack Audio Connection Kit」を使って再生すると音質が明らかに向上する
・PCのマザーボード上のaudioよりオーディオインターフェイスを介したほうが音ははっきり良い
・オーディオインターフェイスはUSBのみで接続するものよりも電源を別に供給するもののほうが
音質がはっきり向上する(オーディオマニア的に納得できる話だ、、)
マザーボードとの違いほどではないけれども
・再生するソフトによって音は違う
私の好みではAudacityが良いと感じた。DAWの音に近い鳴り方と感じた
但しその差は極小さなもの
・DAWによっても音が違い、私はReason11以降が一番良いと感じた(つまり11,12と+ということ)
私にパワーがあれば Reasonの音を空気録音していずれアップするかも知れない。
wav形式のファイル再生ソフトとして使うだけでも元が取れると私は思っている。
私見では20万クラスのCDプレーヤーの音と同等と感じている。
今後、「reason」についての記事を定期的に書く予定をしている。
万が一にも記事が読みたいという奇特な方は私に励ましの念を送って欲しい。
近況報告オワリ!
さて、今日は不思議な出来事について2つほど書いてみたい
あまり不思議な体験はしないほうなのだが、この1年ほどで2回、少し不思議なことがあったので
忘れてしまわないうちに書いておこうということ。
1.「天使のようなものをみた」
糖尿病から来るところの急性心筋梗塞で入院し、無事回復したのは別記事で書いたとおりだが
4回入院した中の何回目だったか、気弱になったことがあった。
生きて帰れないのではないか?という気がして手術も成功しないのでないかと、
そういう漠然とした不安に囚われた時だったのだ。
カテーテルの処置の真っ最中だった
腕にチューブのようなものを入れられた後で、処置のたけなわというときだ
その時手術室に白い人影のようなものが突然現れて、私に励ましを送りスウッと去っていった
私の記憶では男性のようで(ヒゲが合ったように見えたので)
空中を移動しており、襟ぐりの広く開いた亜麻布のようなツナギのような服装だった
私の右側から突然現れて私と目が合い「大丈夫だから」というような内容のことを告げて
そのまま左の壁の方に消え入りつつ去っていった。
当然ながら私以外にその存在に気がついた者はいなかった。ただ、
その前後で処置室の空気は一変したのは事実だった。
それまではリラックスしたというか、少し緩んだスタッフの方々の様子だったのが
(別に責めているのではない、それぐらいは私含めてよくあることだ)
その人影が去ってから医師含め皆さんの集中力が急に高まり、患者の私としては
安心して処置を受けられる状態に変化した。
無事処置も成功したのは言うまでもない。
なぜ「天使」と特定しているかというと、それは信じる世界観のバックボーンがそうだからである
私の感じてる世界はそういった世界であるからだ。
2.「探していたベルトが朝起きると自室の前に置かれていた」
これは天使に比べるとすごく地味な出来事だが、一応書いておきたい不思議さに於いては上かも知れない
涼しくなってきたので普段着を長ズボンに衣替えにと思い前日に服を探していたのだが
ベルトが見つからなかったのだ。
誰に声をかけるでもなく10分ほど探しただろうか?
見つからないので諦めてベルトなしてズボンを履いて
やはりは着心地がイマイチだなあ(ずってくるからなあ)と思ってその日は休んだ。
次の日の朝、自室のドアを開けて居間に出ると私の部屋の前に
昨日探していたベルトが置いてるのだ。
おお、これこれと喜んで装着、やっぱベルトは良いなあと(どこの原始人なのか)
快適快適。 でも 一体誰が置いてくれたのだろう?
誰にも探している事自体告げてもいないのに・・
家内含め家族の一人ひとりに聞き取り調査(?)を敢行、その結果は
「誰も知らない(誰も置いていない)」という驚きのもの。
娘などは「猫がやったんじゃない?」とおっしゃる、そんな訳無いでしょう!
家内も「小人さん?」と言ってるし、あのなあ、、
白い影は天使じゃなくて幻を見たということが出来る、でもベルトがそこにあるのはなあ、、
一体誰が私を助けてくれたのであろうか、誰か彼かは関与しているのは確かなのだけれど。
未だに不思議である。